「その旅の旅の旅」レポート#2:まちの「カーブ」から立ち上がる景を探して

日時:2020.11.09


まちの「カーブ」から立ち上がる景を探して

川の名残をめぐる旅

9月28日、チーム杉山企画の「その旅の旅の旅」の取材が行われました。「その旅の旅の旅」とは、アーティストたちが行なった“旅”の痕跡をたどることで、鑑賞者が新たな〈景〉(=景色、情景、シーン)を探すもの。アーティストたちのひとりとしても参加する杉山さんの旅の〈景〉とは、ずばりスケッチ。この日は、かつて豊島区を流れ、この地区の発展に寄与した谷端川の流域を巡る取材となりました。 まずは大塚駅からスタート。

「流域を巡る」といっても谷端川は区内で都市化が進んだ影響で、昭和39年には全域で暗渠化が行われているため、今は道路となっている川の名残を辿ってゆきます。

まず杉山さんがスケッチを開始したのは、大塚駅よりやや下流にある料亭の店構。バブル期の開発を逃れたその建物は古い松を携え昔の面影のままひっそりと立っていました。杉山さん曰く、この料亭はきっとまだ谷端川が暗渠になる前からあったのだ、とのこと。このエリアは昔、三業地(料理屋・芸者置屋・待合の3種の営業が許可されている区域の俗称)として賑わいを見せていた地区で、きっとその頃は川から店に出入りしていたのではないか?との見立て。

なんだか今日の取材は「ブラ〇〇〇」感いっぱいです。この日描かれたスケッチは「カーブのその先は。」と題されたシリーズとして、現在特設ウェブサイト上で公開されています。まず最初に描かれたものは、「3 大塚三業地」の〈景〉になったようです。

寄り道から生まれる発見

さて、次の目的地は暗渠から寄り道して近所の教会。本日は開いておらず中に入れませんでしたが、以前、講堂で様々公演をすることもあったそうで、牧師さんはパイプオルガンの奏者としても活動されている方。「大野一雄の公演でオルガンを弾いた」という唸ってしまうようなエピソードも杉山さんは耳にしたことがあるそう。また、教会敷地内には山田耕作の歌碑もあり、中の様子がますます気になります。

次はまたもや寄り道で、南大塚商店街の中(?)の天祖神社へ。
ここでは空襲で焼け、背丈が半分になったイチョウの木をスケッチ。焼けたといっても今は蘖が大きく成長し、隣の焼けていないイチョウとほとんど変わらない背丈に。このスケッチは「6 天祖神社」の〈景〉として公開されています。実際の風景のスケッチのみならず、杉山さんが妄想によってこの場所を描いた「妄想スケッチ」もお見逃しなく。

こうして見てみると、まちなかの建物や風景に目を向ければ向けるほど、普段は何気なく通りすぎてしまう小さな事柄が様々なエピソードを含んでいてどんどん気になってきます。
「なんでここにはこれがあるんだろう」
「なぜこの道は曲がっているのだろう」

水が溜まるところに文化も溜まる

さて、ここからが今日のハイライト。
景を探す旅は谷端川にもどって、一気に上流の上池袋まで進みます……が、杉山さんの足が早い!とてつもなく早い!!特段せかせか動いているわけでもなく、大股で歩いているふうでもないのですが、全然追いつけない!都電荒川線の線路を辿り、川の流れを彷彿とさせる緩やかな蛇行した坂道を駆け(歩いて 汗)上がり右へ左へ。

谷端川の影を追い道中さまざまな地形を観察し楽しみつつ、本日のラストスケッチは北大塚三丁目の交差点となりました。ここで描かれたものは「4 北大塚三丁目のカーブ」として公開中。谷端川の影を想像するだけで、景色は違ったふうに見えてくるようです。爽やかな秋晴れの中、お疲れ様でした。

実は、今日は一週間降り続いた雨がようやく止んだ日。旅の途中、工事中のとある現場をチラ見してみると、降り続いた雨のおかげで新たな景が生まれていることに気づかされました。 かつての川底に位置するこの場所には、なるほど水がよく溜まっています。文化は川の流れによって区切られる。河川の流域ごとに文化が発生し、水の溜まるところには文化がたまるという話を、某文化人から耳にしたことがあります。大塚もなんだかこういった水の流れのように文化もたまる地になれば良いなと思った一日でした。

テキスト・写真:泉山朗土