「その旅の旅の旅」レビュー: 旅の道筋を振り返ってみること

日時:2020.12.3


旅の道筋を振り返ってみること

杉山チームの企画「その旅の旅の旅」では、旅人=ゲストアーティストのみならず一般の方々も〈景〉を投稿できる仕組みが用意されていました。ゲストアーティストらの旅に触発され新たに投稿された〈景〉の数々は、翻ってアーティストらを刺激してもいたようです。誰かの旅の上に自分の旅を重ねていくこの企画を経て、アーティストらは何を考えたのでしょうか。6人のアーティストたちから、コメントを寄せてもらいました。

杉山至

その旅の旅の旅はつづく

2021年11月中旬コロナの猛威は更に増している。

5年後、10年後に人はこの時期の事を振り返りどう評価するのだろうか?

10月F/Tオープニングの時点では感染者の増加は抑えられていて、4〜6月頃の今回の移動祝祭商店街はイベント型にはしないという判断は早すぎたのかとふと頭をよぎったが、F/Tが終わる頃からまた感染者が急増し始めやはり今年の作品のアウトプットの仕方は間違ってなかったと思ったり、
なんだかずっと揺さぶられ続けている。この感覚はまだまだ続くだろう。

この8ヶ月で生活は様変わりし失ったものがなんだったのかさえもう良くわからない。それくらいに日々が混沌としている。

2011の震災は多くのアーティストがそれを題材にしたが今回のこのパンデミックはどうだろうか?
まだまだ渦中にいて評価なぞ出来ないという感じだろうか。

しかし時は過ぎていく。立ち止まっていようといずれ先はまだまだ見えない。
ならば前に進む事に果敢に取り組んでみよう。
旅は続く。

当初5人のアーティストに旅に出て景を発見して下さいと無茶振りしたのは良いけれど果たしてどうなるかと内心不安だったが、出てきた様々な切り口の景に触れて参ったと感じた。

その角度からこの街を切りとるのか!そんな表現方法あり?といった発見と驚きの連続だった。
参加してくれたアーティストにまず感謝したい。無茶振りにも関わらず果敢に挑み旅に出て素晴らしい景を発見し表現してくれた事に。

そしてこの旅に参加してくれたみなさんに感謝します。
会期中に旅に出かけ投稿してくれた景はどれも素敵な視点と切り口を持っていて、思わず微笑んでしまったり、画面にむかって深く頷いていたりとその景を切り取った視点に立ち会う感覚は机上ではあるが一緒に旅をしている気分になった。

景という切り口、それは見た目だけでなく街や空間に満ちている音や匂いや気配、行き交う人びとの吐息や思いであり、それを文字や言葉、絵や音など様々なかたちで表現する事で街は新たな魅力を獲得するのだと改めて気づかせくれた。ありがとうございました。

ふと街角で立ち止まった瞬間、景に出会った瞬間からその旅は始まり、誰かの新たな旅を誘発する。

街の魅力を発見し、発信する旅はまだまだ続く。
あなたもそんな旅に出てみませんか。

阿部健一

旅の“連句”は始まったばかり

初夏。ぼくがこの企画に召喚されたとき、最初に杉山さんから伺ったのは「移動祝祭商店街に連句の発想を取り入れたい」というお話でした。

連句。一句一句が個人の作品だけれど、連なっていくことで連句という集団の作品にもなるという構造がとても面白いと感じています(自分はあくまで趣味としてたまに触れる程度ですが)。
個と集団が同時に保証されること。コロナウイルスが問題になる以前から、このことは社会にとってすごく重要だったように思います。

「その旅の旅の旅」を連句で例えると、旅人48景が発句(はじまりの句)で、投稿の景が付句(付け加える句)となるでしょうか。いや、旅人の前にも正岡子規や、土地ごとの先人がいるわけで、わたしたちも大きな流れの一部だったのかもしれません。

また景を投稿してくださった方に限らず、日々減っていく景ラックのシートの数だけ旅に出た方がいて、それぞれの旅の一つ一つが付句と考えると、なんだかとても大きな連句が転がり始めたようで、背筋が伸びるような、ワクワクするような、途方に暮れるような気持ちになります。
きっとこの連句は始まったばかり。

この先の旅路にもどうかお付き合いくださいませ。

牛川紀政

未確認飛行物体との以心伝心

-投稿の景31 東のUFO(旅人:高橋由佳)を受けて

長崎6丁目にも来ていた!しかも赤いアンテナ2本だ。こちらのほうが最新型か。着陸の際の難易度がよほど下がったのだろう、表面のキズが少ない。操縦室に入れば直ぐにでも離陸できそうだ。いや待てよ、中にはまだいるかもしれない。それは人の目で確認できるとは限らない。操縦室に入るときは気をつけなければならない。 赤いアンテナの1本は彼の地とのコンタクトに、もう1本は南長崎の先人の機体の黄色いアンテナと交信しているのだろう。交信?見た目に騙されてはいけない。これはアンテナではなくて触角なのではないか?窓に見えるのは目だとしたら?この未確認飛行物体そのものが生き物、、、えっ!だからまだいるのかもしれないと思ったのかもしれない!そうだ、きっとそうだ。だからこんなに愛くるしい姿で「待っている」んだ。「待っている」と言うか「探している」んだ。わたしたちの未来の身体を「探している」。 なかなか思うようにいかないからこの2機目も飛来して来たんだ。操縦方法は未確認飛行物体との以心伝心。一体化すればどこにだって行ける。よし、オレは出発するぞ。

佐藤文香

景と言葉が出会うとき

3「あじわいしっかりの切れ端」たかや
指し示す内側を失った「味わい」という言葉。
私たちに残されたのは、ここに「しっかり」を添えた人の祈りだ。

14「ふたつの景色」はな
主観が"赤い"と感じ、その赤に囲まれて見える位置に身を置く。
客観の矢印に指差される。

34「まちに佇む、11:15@大塚、空蝉橋」たかすかまさゆき
景を言葉で写す、そのあいだに、景には景の進行がある。
言葉は景に遅れる分、言葉の景は言葉のやり方を纏う。

景と言葉について考えていました。
景とそれをあらわす言葉、なのか。それとも、言葉とそこに含まれる景なのか。
どちらにも見えて実は、景と言葉は、書いた人のなかで初対面を果たしただけなのではないか。
両者が再会するのは、それらを受け取った私たちの想像力の中でなのだと思います。

とくさしけんご

インターネットに生まれるささやかな“縁”

この「移動祝祭商店街」、ひいてはF/Tそのもの、ひいてはあらゆる地域密着型の芸術祭、さらにひいてはあらゆる創作、さらに、さらにひいては生きていくことそれ自体に、場所や人との「縁」をどう感じていくのかというテーマが流れていると思います。 この街や人に、私たちは縁があるのか、縁は発生するのか、という問い。

では、インターネットに縁はあるのか。

フォローしたりフォローされたり、いいねしたりいいねされたり、ブロックしたりされたり、相互フォローなのかな、とか思ってみたり、飲食店の感想の感想があったり。
縁が過剰すぎたり、逆に希薄に感じたり。

「その旅の旅の旅」のサイトの投稿、ちょうどよい湯加減の「縁」を感じていました。
ベタベタしすぎず、しかし時は違えど同じ街歩き。ささやかな縁の発生。

特に音を投稿してくださった皆様、ありがとうございました。
音に耳を澄ませることから始まる想像は、いつだって楽しいものです。

山内健司

個とつながるための旅

旅人たちの景たち、投稿された景たちを拝見して、ある一点を凝視する感覚と言っていいのでしょうか、旅人がある感覚に心を飛ばしたその身体感覚に、僕は自分の身体を浸します。人が心を飛ばしたそのヒトガタに、もぐって自分の身体を合わせてみるかのような。もはや生き霊を飛ばすみたいな。その生々しさは現地こそが真骨頂です。これはおそらく、僕の俳優的な視点、演じる視点なのかなと思います。

2020年5月自粛期間のまっさなか、静岡県舞台芸術センターがネット上で行なった「くものうえ⇅せかい演劇祭2020」での、ワジディ・ムアワッドさんと宮城聡さんの対談があります。ワジディさんの「演劇の強みが発揮されるのは個とつながろうとする時です」という言葉が私の身体を電気みたいに貫きました。勇気をもらいました。そうだ、そうだよ、演劇こそ、できるね!

この「その旅の旅の旅」は、まさに個とつながろうとする試みのど真ん中であると感じています。

1980年代にはじまる路上観察では、街にある特権的な物件がその表現の中心であったと思います。それから数十年経って、路上観察は、特権的物件から個人の視点のほうに、ぐぐっと重心を移したように僕は感じています。路上観察2.0。誰かと一緒に街歩きをして、思うがままにデジカメで写真をとりまくり、その写真をそっと見せ合う。決して特権的ではないその写真について、これはなんですか?と聞かれると、ちょっと動揺して、わざわざ人に話すのをなんだかためらっちゃう人も、いざ話し始めてみると、もういくらでも生き生きとその感覚を話せちゃう。そんなギアにすぐ入る。そんな地平が今、広大にひろがってます。

この「その旅の旅の旅」はそんな個人の表現をさらに、他の人と繋げていこうとする、3.0への試みだと思います。これまで舞台芸術は、劇場という建物の中での、舞台側と客席側の、情報量や発信する権利の圧倒的な不均衡や作法を前提としています。私たちは本来、何を言ってもいい。でもそれはこの世のどんな現実においても、とっても難しいことです。でも言っていい。そしてよーく見てみると、その難しいことに挑んでいる人たちがほんとにたくさんいて、ものすごく勇気をもらえます。

僕たちが勇気を与え合う回復の試みを、やりたいです。「その旅の旅の旅」を僕は続けます。

「旅」はまだ終わらない

フェスティバル/トーキョー20の会期こそ終了したものの、「その旅の旅の旅」はまだ終わっていないようです。6人のアーティストらのコメントからは、この取り組みが今後も続いていく可能性が示唆されています。阿部さんが語った「連句」、とくさしさんが語った「縁」、そして山内さんがコメントで語った「個」のつながり。今回の企画においては、さまざまなレイヤーで新たなつながりが生まれていたといえそうです。

「その旅の旅の旅」という企画名からは、その先にもさらに旅の旅の旅の…と新たな旅がつながっていくことが予想されます。そもそも、一度始まった「旅」は決して終わることがないのかもしれません。アーティストらの旅は一般の方々の旅へとつながり、一般の方々の旅は再びアーティストらの旅を引き起こす。そこからさらにまたべつの旅が生まれていく。無限に続いていく旅は、わたしたちをどこか知らない場所へと連れて行き、見たことのない〈景〉を見せてくれるでしょう。

テキスト:もてスリム / 写真:泉山朗土(1枚目を除く)