坂本 遼
会場:本特設ウェブサイト
2020.10.16 Fri - 11.30 Mon写真と映像作品を順次公開
忘れ去られた屋上が「街」と「観客」をつなぎなおす
舞台となるのは、南長崎のある屋上。本プログラムは人が入れず忘れ去られた空間となった屋上に舞台と客席をつくり、上演する姿を映像で捉えた。実際に屋上へ足を運べない観客用に客席もデザインされたこの仮設の劇場空間は、「存在する」という事実を抱きしめようとしている。
2020.10.16 Fri - 11.30 Mon写真と映像作品を順次公開
舞台となるのは、南長崎のある屋上。本プログラムは人が入れず忘れ去られた空間となった屋上に舞台と客席をつくり、上演する姿を映像で捉えた。実際に屋上へ足を運べない観客用に客席もデザインされたこの仮設の劇場空間は、「存在する」という事実を抱きしめようとしている。
街はつねに、より効率的で公正な空間利用を求められています。場所も人も建物も、〈何のためにどれだけ役に立つか〉という問いに応え続けなければ、そこに立っていることすらままなりません。さらに、コロナ禍にあって、あらゆる行動、行動しないことさえも、その目的や効果が問いただされています。現実の街は、窒息しそうな閉塞感に覆われています。
わたしたちは、屋上という場所に、そうした窮屈さから空へと逃れる窓、合目的性と効率性からの避難所であってほしいという願いを託しました。昔から、一息つきに抜け出してくる場所といえば、屋上でした。しかし、現代の都市は、屋上にさえ発電や緑地という目的をもたせ、無用な場所であることを許してくれません。
ならば、そこに、さらに無用な屋を重ねる(=屋上屋を架ける)ことで、街から干上がってしまった無用の場所を、現出させたい。何の役に立つのかを問われずに、ただ存在することを許容されるような場を、現出させたい。舞台美術と想像の力を使って、現実の、地上の街からちょっと浮いたところに。
ただ存在するどこかの誰かから、ただ開かれている景色がある。自分が見ているわけではないその景色を、屋上にデザインされた観客としての「誰か」を通して、身近に感じることができたらいいなと思っています。景色はきっと、自分と誰かのあいだにあって、お互いの視点から眺めることもできるはず。そうやって、景色を介して誰かの存在を身近に感じられたら、ひとりで見ている景色も、少し違った色に見えるかもしれません。
1984年神奈川県生まれ。國學院大學文学部哲学科美学専修卒業。2009年から舞台美術研究工房・六尺堂にて舞台美術をはじめる。東京の小劇場を中心とした演劇の舞台美術をデザインから製作まで行う。2017年より東アフリカのルワンダ共和国にて行われるUbumuntu Arts Festivalにセットデザイナーとして参加。2018年にはゴリラネーミングセレモニー(Kwita Izina)の会場デザインにも関わる。