谷端川遡行 7 『高松橋』

旅人:山内健司

彼女と暮らした街

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旅人より

豊島区をS字型に貫流する、今はもう無い「谷端川」。ずーっと昔からこの土地の人々の暮らしは谷端川の凹凸に導かれて形づくられました。その流域の人々の記憶がぎっしりと積もった、母なる川です。

「谷端川遡行」では、道路も建物も透視して、地形の凹凸に導かれるがままに川を遡りました。流域には今はもう無い、記憶の中にだけある橋がそこかしこにあります。

例えば旅の途上、視界の端に一瞬映った、ベランダの向こうの部屋の空気が、不意打ちのように私の胸を射抜くことがあります。あそこに暮らしている自分は、どんな仕事をして、どんな暮らしをしてるんだろう。

それは、旅をする私の身体と、土地に積もった記憶が交差して、起動した一瞬の出来事です。出来事はみな、橋のたもとで起きました。

 

参考文献:『旧谷端川の橋の跡を探る』(豊島区立郷土資料館友の会, 1999)

 

※ ※ ※

「『この緑のトンネルいいねー、気に入ったー』って爽やかな声で彼女は言って。僕は川にふたした、この公園そのものが生活の道路になってる、このアパートのロケーションが抜群に気に入って。タバコは窓を開けて吸っていいことになってたんだけど、僕はよく外に出て植え込みのへりに腰掛けてタバコ吸って。彼女の本棚にある本がどれもすごい面白そうにみえて。言われるがままにオススメの音楽を聞いて、僕もファンになって。洗濯したタオルが綺麗に収納されているようすがくすぐったくって、自分が野蛮人であることが申し訳ない気持ちで、喜んで小さくなって暮らしてました。遅く帰って来た彼女はちょっと疲れてて、僕が用意したご飯を『これおいしいねー』って言いながらパクパク食べてました。彼女がこの部屋から去って、僕はそのままここに6年住み続けました。遠くにビルができた頃、僕もこの街をはなれました」

 

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旅人プロフィール

山内健司

俳優。1984年より劇団青年団に参加。90年代以降の平田オリザによる「現代口語演劇」作品のほとんどに出演。フランス、韓国との国際共同制作に多数参加。街や人と直接関わる、劇場の外での演劇にも力をいれる。平成22年度文化庁文化交流使として全編仏語一人芝居『舌切り雀』をヨーロッパ各地の小学校で単身上演。